使命、天職、才能に生きるということ。

使命、天職、才能に生きるということ

 

自分の使命、天職、才能を知りたい!

自分の使命を知ることができる。

天職を知ることができる。

才能を知ることができる。

というキャッチには一定の効果があり、人を引き付けてやまない魔力があるようだ。

 

占いや、セラピー、コンサルタントやコーチに至るまで、このような効果をうたっている人も少なくない。

 

「教えてあげますよ」という人がいるとしたら、気を付けた方がいい。

残念ながら、教えられて、「はい。そうですか」というようなものではない。

 

それこそ、それらを教えてあげられる存在があるとすれば、神や宇宙のような、俗世ではない、人智を超えた存在であろう。

 

人はどうして、使命、天職、才能を知りたがるのだろうか。

 

知れば、楽に生きられる?・・・そんなわけない。

そこには、知れば楽になれるという気持ちと、迷いや不安がなくなり、安心して生きていけるという期待があるように思える。

 

しかし、残念ながら、知っても楽にはなれないし、迷いや不安がなくなることもない。

 

なぜなら、才能は、使うことによってしか知ることができず、天職は就くことによってしか知ることができず、使命は、生きることによってしか知ることができないからだ。

 

使命、天職、才能は、体現すること

つまり、これらのものは、人生をかけて、それを体現していくということそれ自体なのだ。

 

そして、当たり前だが、大きなもしくは、多くのそれを与えられたもの、持つものは人よりもより多くのそれらに付随するものを背負うことになる。

 

大きな力にはより大きな責任が伴う

人は自分によりたくさんの才能を望み、より大きな力を持ちたがる。

しかし、それらには、それを保持するための大きな器が必要となる。

 

また、大きな力(才能)、それ自体には善悪や良し悪しはないにも関わらず、人に不気味な得体の知れない恐れを抱かせることによる、拒絶から、「悪」としての標的とされ、挫かれることすらある。

 

それらの人々は、それゆえに、多くは孤独である。

 

 

 

使命、天職、才能に生きるということ②へ続く

Written & Photographed by Aki Kunitake