オクシタニアでセッション(オクシタニアではParoleパロールと位置付ける)を始めたのは、代官山でお店を開いてすぐのことでした。それから雑貨や文具を売るより「占い」が(オクシタニアの中で)売れてしまって、今に至ります。
私ができること
「占い」を扱ってはいますが、私自身は「占い師」ではないと思っています。
この場合、「占い師」とは、「占術」を使うスペシャリストとしての定義で使っています。
本当に超一流の占い師さんは、占術に関する知識が半端なく、そこからたくさんの知恵を生み、人々に可能性や未来を指し示すものです。
正直に言うと、私の占いの知識に関しては、もちろん、普通以上、自由大学で教授ができて、本を出版できるくらいはありますが、「自分軸」を明確にするために使う以上のものを求めてはいません。
私の才能(できること)って、「占い」そのものじゃないんです。
というより、「占い師」というにはジレンマがあるのは、占いを使う前に「ほぼわかる」からなのです。
予約の時点で自分が何を言えばいいのかわかる
これって、「占い」じゃないですよね。少なくとも、そこに占術は必要ありません。
まず前提に私自身が心身ともに健やかであることが大事なので、もちろん、常にそういう状態をプロとして保っています。
そうしていると、すでにお客さまから予約をいただいた時点で、どうしてその人が私と話さなければならないのか、自分が何を言わなければならないのか、何を言わされるのか、そういうことがわかります。
もうそういうことができる時点で「占い師」ですよ。という定義であれば、「占い師」でいいと思います。
それだったら、40分も、60分も時間使わないで、その結論だけ教えてよ。といいたくなる人もいるかもしれません。
でも、そうじゃないんです。「結論だけ」を欲しがっている人は永遠に自分の答えにたどり着くことはできません。そして、オクシタニアに来ることもないでしょう。そういう人の欲しがるものが一つもないところがオクシタニアなのです。
だからと言って、それは私に霊感的なスピリチュアルな能力があるということではないのです。
それは、オクシタニアの私の在り方によるものなのです(なので、心身ともに健やかであることはマスト)
また、セッションでは、一切占いを使わないでまさに「セッション」もしくは「対話」、「カウンセリング」で完結するお客さまもいます。オクシタニアのセッションが「占いの鑑定」ではないこと。お客さまによって私の役割が変わることが「セッション」と呼ぶ所以です。
私は使われる者として存在する
セッションの際、いくつかのアドバイスをすることがあります。ただし、それに従う必要は全くありません。
むしろ、それをお客さま自身が否定するためのアドバイスをすることもあります(やっぱり誰がなんと言おうとも自分はこれで行きたいと決意して進むためにあえてする別の選択肢の話)お客さまからセッション後に、「やっぱりこうすることにしました。國武さんの言う通りにせずにごめんなさい」とメッセージをいただくこともありますが、その際の私はまず間違いなく「拍手喝采」です。それが自分軸で生きることだからです。
では、なぜ、最初から、「あなたの思ってる通りで大丈夫」と言ってあげないんですか?と思いますよね。
これは、また上に書いたことと同じです。お客さまは「結論」が欲しいのではないのです。
お客さまが自分で答えを出すために、私が存在しているだけなのです。
そういう意味では私の占いは外れるとも言えます。そもそも当てに行っていません。
当てることが何になるのでしょう?
私は常に、それ以上のものを欲しているのです。
「思い通りじゃなく、思いがけない人生を楽しむこと」ができます。
「思い通り」は有限のものであり、「思いがけない」ものは無限の可能性を秘めています。
オクシタニアについて | L’ ecriture d’ Occitania (オクシタニアのエクリチュール)
当たる以上のものが欲しいのです。
私の思っていること以上の人生展開を見せてほしいのです。
人の可能性や、未来を見せていただくことは何よりのご褒美です。そしてそれは自分の希望そのものなのです。
宝くじが10億円当たったっていいじゃないですか。むしろ、それどころか、もう1回10億円当たる人生だってあっていいのです。「そんなわけない」って自分で自分の可能性を閉ざしてはもったいないのです。
残念ながら、私自身にはくじ運はなく、¥3,000当たったのが最高額です。それですら、くじ運のよい人からプレゼントしてもらった宝くじでした。いや、可能性は閉ざさない!
私だけが持てる視点
なんだか、結局、私自身の「できること」がよくわからないと言われそうですが、ひとつだけ言えることが在ります。
ただ相談するだけ、自分で答えを出すために相手になってくれる人・・・であれば、おそらく、良き友や先輩、上司などに恵まれていればそれで事足りるでしょう。
でもおそらく「友達に相談したら、こう言われるだろうなぁ」となんとなく返ってくる言葉が想像できる時があるでしょう。私も実際、お客さまとセッションしているときに「普通の友だちだったら、絶対違う方を進めるよね」という問題が出てきます。でも、それこそ、私の真骨頂なのです。
私はお客さまの友達の立場では絶対に見えない別の未来が見えるのです。そしてそれはいつも間違えようのないくらい光り輝いているのです。
では、その時、私はどんな立場なのか?
お客さまの人生の物語のひとりの読者です。それも、プロフェッショナルとしての読者です。
つまり、お客さまの友達はもちろん大事な登場人物の一人ではあるでしょう。目の前にあるどちらの選択肢かという問題について親身に相談に乗ってくれているはずです。
しかし、読者であるがゆえに私は、数ページ先のことではなく、もう少し先の時間軸を見据えてさらに違った選択肢を提示することができるのです。もしくは、その目先の問題に集中させないというやり方もできます。
実はよくある例なのですが、長らく出会いを求めていたお客さまから「彼氏ができた!」という嬉しい報告をもらうことがよくありますが、残念ながら、その人とは短いお付き合いになって、実は次に出会う人が結婚するまでに至る大切な人・・・ということは本当に多いです。この短いお付き合いになる人のことを私は心の中でメッセンジャーと呼んでいます。この話はまた別のところで・・・
これは、おそらく、かなり特殊な技能だと思っています。
セオリー的には絶対にそうならないようなことを私はある意味見通せるのです。
車の中に紛れ込んでいたてんとう虫を見つけるようなこと
お客さまにとって、私は物語の重要人物ではありません(会員さまとか関わりがもう少しあるとちょっとまた変わってはきますが)
私はお客さまの物語においては、車の中に紛れ込んでいたてんとう虫を見つけるようなことです。
つまり、ちょっとした幸運も前触れを知るような、そんなサインとしての存在。
(てんとう虫を嫌いな人からすると、またアレですが・・・)
未来というのは、過去から今へつながり、その延長線上である程度知ることができます。
しかし、その物語は「今」たった「今」からでもどんなふうにでも広げていけるのです。
たった1匹のてんとう虫を見つけたことから広がる豊かな物語・・・。
その物語をリアルタイムで読ませていただけるのは、最高の至福です。
てんとう虫というのは例えですが、私はあなたの物語に出会えることを心待ちにしています。
私をあなたの物語のファン第一号にさせてください。
そして私は誰よりもあなたの物語を支えるファンでいられる才能を持ち合わせています。
あ。いろいろ書いたけど、「占い」もちろん、しますよ!占いが描くあなたの世界も面白いし、それにも大事なことがたくさん含まれています!
まずは40分:¥9,900でお試しください