「問い続けること」…それが私の占いに対する研究者としての姿勢

コンテクスト53

私は現在、Occitaniaを通し、占いというコンテンツを扱ってはいるが、私自身は占い師ではない。
とは言え、占いをして、お金をいただいていることも活動のひとつではあるので、占い師としての側面もあるとも言える。

私がOccitaniaを通して活動していくことの軸はまさに「自分軸で生きること」にある。
占い自体に軸はない。
なので、そのためのツールとして占い学、心理学、哲学、論理学、言語学・・・を学び、「自分軸で生きること」への研究を深めていると言える。

しかし、並べてみると、中でも、「占い」と言うのがちょっと特異なコンテンツであるのはすぐにわかると思う。
自由大学の講義を持ち教授となってから「占い学」と言う言葉を特に意識しているが、
そもそも占いはきちんとした日本の教育機関(大学などで)で学問として研究されてるものではない。

日本の占いの位置づけはエンタメである

占いは、主に日本ではエンターテインメントとして消費されているコンテンツである。

私自身、著書でも記したが、

私は「占いは当たるのか?」「信じているのか?」と聞かれることにいつも違和感がありました。

拙著「占い女子のための運命のトリセツ

いまだに、占いに対して、「当たる、当たらない」「信じる、信じない」というスタンスしか取れない人たちがいることに考えさせられる。
これは、占いというものがエンタメとして消費され続け、学問として成熟していないことを示していると言える。

インターネットが発達し、これだけの情報が溢れている時代でも
まだ、占いの業界では「的中率100%」だの「心を癒す奇跡の占い」だの「運命の人いい当てます」だの
何十年も前から変わらない手法の煽りでコンテンツは消費され続けている。

私は決してそれらを全否定するつもりはない。
エンタメとしては楽しめるものでもあるし、情報を扱う力がある人にとってはそれらのものも、また善きコンテンツとして昇華できるからである。

占いというコンテンツは強力な支配力と強制力を持った魔物である

しかし、実際に提供する側として占いの業界へ少し足を踏み入れてみると、
それがいかに人間を思考停止させてしまうものなのかということを目の当たりにして愕然とすることがある。

「これがあなたの運命です」「この日に始めないと失敗します」「この名前のせいで恋愛がうまくいかないんです」・・・
占い師がそんな言葉を継げるたびに、その言葉に囚われ、絡め取られ、縛られ、人生を乗っ取られてしまう。

私が自由大学で講義を立ち上げたのはそれに対するひとつの姿勢としての提案である。

この講義を立ち上げたのは、占いに依存して人生を明け渡してしまう人を少しでも減らしたいと思ったからだ。
それに、占いはうまく使えばなかなかに面白いツールなのである。
占いを知った小学校のころから、一人こつこつと学び、研究し、自分の人生でトライ&エラーでデータを集め検証してきたというのは結構稀有な存在だと業界を見ていても思う。
自由大学でもたびたびいろんな方が発信している「問い」への姿勢というのは、占いというなかなかの支配力と強制力を持ったコンテンツに対峙するのに大切なものだったと思う。

自由大学メールマガジン原稿より抜粋

占いはツールであり、自分軸を持って、より自由になるために使うものである。
占いは決して、自分の人生の幅を狭めることも、可能性を摘み取ることもない。

Occitaniaにおける占いへの姿勢

運命だとか、神だとか、宇宙だとか、他人だとか、もちろん占い師にも、
残念ながら、あなた以外の誰もあなたの人生を決めることはできないのである。

なぜなら、あなた自身しかあなたの人生を歩めないのだから。
誰もあなたの人生を代わってやり直したり、先の未来を引き継いでくれるわけではないのだから。

Mythos(ミュトス)とは、”語り伝えられるもの”としての物語(特に神話)のことであり、Logos(ロゴス)の言葉と対比して使われる。
神がいるかいないか、信じるか信じないかではなく、問題は「私たちがどう生きるか」なのである。

Mythos序文

視点を変え、
もし、誰かが私の未来をすべて知っていて、かつ、何ものかに操られているとしても、
私はその何ものかの意図や思惑や思考、把握していることすべてのこと
それすらも超えるパフォーマンスを発揮して、その枠を凌駕するようにはみ出してみせたい。

もし、私の運命を操っているものがいたとしたら、
私は誰よりも素晴らしく操られて魅せよう。
そのものがもっと私に何かさせたくなるほどに。

Mythosコンセプト

それがOccitaniaの占いに対するコンセプトにも示されている。

私の占いへの姿勢

私自身は、占いをエンタメとして消費するだけではなく、
きちんと、自分軸を持って自分の人生を自由に描くためにどう使っていくか、の視点から研究を続けていく。

ずっと肩書を持たなかった私に教授という肩書が付いたのも言い得て妙である。
教授と言うのは自分で研究し、問いをたて、検証し、結果を収集し、考察していくというサイクルを何度も繰り返すことで、自分自身のなんらかの答えみたいなものを導き出した人であると思っている。
そして、今もなお、絶えず問い続ける人であると思う。少なくとも私の姿勢として。

自由大学メールマガジン原稿より抜粋

それはつまり、どの占いが一番すぐれているか、であるかとか
新しい占いを開発していくことではない。

誰か素晴らしい人の流派につくことでもなく、
ツール自体、特定の占い師を礼賛することでもなく、
だからといって、新しい占いを作ったと言うところで独自性を発揮したようで結局消費に取り込まれるだけの開発者になるのでもなく、
私は常に問い続ける姿勢をもった研究者でありたい。

 

そのためには、自分自身の考える力、学ぶ力を常に研ぎ澄ませておかなければならない。

そして、当然、それらの力がなければ、占いという魔物に取り込まれてしまうだけなのである。
いつか、使っているようで、とりこまれてしまわぬよう、自戒を込めて、ここに明記しておきたい。

Written & Photographed by Aki Kunitake